| 『SEX』について 徐美姫
この写真集はモノクロームで波や水の軌跡を追いかけた写真、計21点により形成されています。撮影場所は私が育った北陸日本海沿岸です。
私は写真を知り、まだ4年にもなりません。この写真が展覧会とともに私個人の言葉となり世に出るのはこの機会が初めてです。
写真を撮りはじめて、2年が過ぎようとしていたとき、写真を通して見つめることがどういうことなのか、写真って一体何かなという素朴で大きな疑問にぶつかりました。
それまではただ写真と仲良くなるのに夢中で、写真を撮る行為について考える時間も頭もなかった。
この素朴な疑問に対して立ち向かった、今現在の結論がこの写真です。
この写真は私のセルフヌードに匹敵すると私は考えています。
しかし、何故私はセルフヌードという形式をとらなかったのか、何故、祖国韓国や家族、身の周りの出来事に眼を向けることがなかったか、何故。それは私の生い立ちなどにも附随しています。
私は在日韓国人です。しかし自身の存在は韓国人でありながら、韓国人ではないという曖昧な疑問。そして家族。私は15才から家族と離れたので、家族という存在や響きにはとても馴染めず、家族を撮る行為は私にとって日常からさらに遠のく行為でした。
私の周りには確固たるアイデンティティが存在していないと感じたとき、何よりも強大で大きなものに自然と足が向いたのです。
とても大きいことが私にはっきりと「そうだ、何てことはない」と教えてくれました。自分自身が粒子になるような感覚でした。そして、写真を撮る行為とは共生することなのかもしれないとふと感じた。不思議なもので、日本海は私の生まれた場所に面していると同時にまだ見ぬ韓国の地にも面しているのですね。後から気がつきました。
“sex”というのは、物の性質という意味合いもあります。
私は自身の性、男が男であるということ、女が女であること、人は人なんだということを想い、この作品を世に出します。
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