あとがきより
撃たれて死ね。
印画紙が証拠品となる。プリントされた像は生ものであるかのごとく臭気を帯び、
目の前にたちあらわれた。この世の時間軸が写真側にあるとすれば、
私は全くその圏外にいて、“現在”という宙ぶらりんでつかむことができない
不確かなものから逃れようと、その確かに存在する軸への手がかりを必死に探す。
私という死に向かう、流れる時間そのものに対し、
止まった時を作る行為は祈りに似て、自己と対立する存在への強い欲望、
執着の線上にイメージは成り立つ。
撮影の際、偶然を引き起こす仕掛けを自ら作り込み、
なおかつ自分が意識的に持つビジョンのコントロールを失うべく、
予測不可能にカメラに撃たれることを待っている。
写真を撮る『shoot』=撃つ、殺す行為だとしたら、
それは逆に撃たれる意味であり、殺す行為で蘇生してしまう時間がある。
被写体や光景との出会いの段階、またはそれ以前で既に写真をみている。
撮影以前に存在する時間が圏外にある私を撃ち、蘇生する。
身体は媒体でしかない。カナリアを腹の中で飼っていた。
写真によって生け贄にされた人物や風景が、あの世に捧げたものを見よ。
志賀理江子
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