百々新『対岸』書評(ダン・アビー)

木村伊兵衛写真賞を受賞した百々新の『対岸』について、日本の写真を研究しているダン・アビーさんが書評を書いてくださいました。


原文は英語ですので、拙いですが翻訳してみました。

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人、プラン、カメラ。そこにあるのは「対岸」だった。陳腐な表現で申し訳ないのだが、このフレーズのシンプルさは日本人写真家の百々新の作品にとても合っていると思う。必要となった時のためのグーグルマップを出力したもの以外は特に持ち合わせず、百々はトルクメニスタン、カザフスタン、イラン、アゼルバイジャン、そしてロシアという西アジアのカスピ海に面した5つの国を旅した。彼のスナップショットはユーモアがあり、孤独で、そして青の深い影をもったものだった。百々の作品が水(Taiganは反対の岸という意味)を捉えており、被写体にも合っているからこそこの色になっていると考えても、おそらくはそんなにかけ離れていることではないだろう。私は百々がシンプルなアイデアの中から素晴らしいイメージを作っていることにとても感心している。最近の当てもなく歩き回り写真を撮るタイプの写真家のほとんどはありきたりなように思うが、百々はファンタジーを演じるようなことはなく、彼は彼自身の作品に身を投じている。

「対岸」の本のなかで百々はこのプロジェクトの動機について語っている。「シルクロードの先にある、まだ出会ったことのない国々、中でも世界一の湖カスピ海のまわりを目撃したいと思った。カスピの岸に立って見えない対岸を思う。寄せたり引いたりしながら宇宙人が飛来するかのようにピンポイントで沿岸の街を訪れる。この未来があるのかないのかわからない土地を見ることで、自ら進む岸を探しているように思える。」

百々は最近、日本の写真家にとってもっとも名誉ある賞のひとつ、木村伊兵衛写真賞を受賞した(今年は百々と菊地智子の2人が受賞)。今日日本の写真集を出している出版社の中で一番活動的である赤々舎から出版された彼の本によっての受賞だった。自分は来日したころからずっと赤々舎の本を見続けてきた。数年前からは彼らのいくつかの本を「Akaakaesque」と呼んでいる。それは首尾一貫とした作品群だからだ。「対岸」は絶対的にAkaakaesqueであると思う。この本の在庫が100冊を切ったと聞いているので、もし興味がある人は後悔する前にはやく買った方がよいだろう。あと、百々新の父である百々俊二についても少しだけ触れておこうと思う。彼自身注目すべき写真家で、大阪の写真界でも重鎮だ。赤々舎は1968-1977に撮られた彼の作品の写真集「遥かなる地平」を最近出した。それがまたかなりいい。

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ダンさん、『対岸』についての魅力的な評をありがとうございます。
『対岸』は単なるドキュメンタリーでも旅の写真でもなく、実に写真家の視点を強く、かつ謙虚に打ち出したものであるがゆえに、言葉で表すのは難しい部分もあるでしょうが、深く見てくださって有り難いです。
そして「Akaakaesque」! 「赤々っぽい」や「赤々的」というのではなく、より確固たる響きのこの言葉。
ダンがそう見てくれていることを光栄にも思うし、それがどのあたりの写真集を指しているのか、私はおそらく
わかっていると思います。そして、時に自分が意識して「Akaakaesque」を手放すこともある。それはその時の作家との関わり方や本の成り立ちによるものですが、コントロールできるものではないということを大事に感じてもいる。ただ、「Akaakaesque」と呼んでくれた写真集こそ、まさに赤々舎や自分にとって最もやむにやまれぬ、手に余る、しかし突き詰めようとした一群だったし、それがこれからどのようになるのか、その行方を自分も見たい。
『対岸』は、初版残り50冊を切りました。