思ったこと

土曜日に京都精華大学デザインコミュニケーション学科の非常勤の授業に初めて行った。デザインコミュニケーションが何たるか、なぜ呼ばれたのか、あまりよくわからないのだが、豊永さんが呼んでくれたからには、ありのままがんばろうと思い、佐伯慎亮を引き入れた。いつも通り、ああやこうやいい合える写真家がいるほうが、「写真をプロデュースしてみよう」という課題が肌身につくのではあるまいか。プロデュースというと聞こえはいいけれど、あなたはこの写真をどうしますか? ということだと思う。

全5回。その1回目で、徹夜で膨大な数の画像を準備してきた佐伯くんが浴びるように写真を見せた。思えば、こういう量を私や佐伯くんは慣れているけれど、学生はそうではない。少し慮ってみたけれど、豊永先生は「これが大事やから」というので最後まで見せた。
学生の感想に興奮したし面白かった。「生々しくて気持ちがわるくなった。男性の写真だからでしょうか?」「佐伯くんと姫野さんが、好き嫌いをはっきり言い合うのがおもしろかった。写真を囲んでこんなふうに話せたらいいのに」とか。

そうなのだ。私が最も大切に思うのは、あなたがどう思ったか、何が好き、何がきらいと、一人称で話してほしいということなのだ。どんなにささやかなことと本人が思ったとしても、「わたしは、、、」と語り出される言葉を私はかけがえのないものに思う。

授業のあとである学生が豊永先生に、「この授業はfeelなんですね。ロジックではなく」と話したという。feel、という種からそれぞれのロジックに至れたら、、、ロジックは与えられるものではないだろうから。

この機会は私にも佐伯くんにもありがたいものだ。
そしてあらためて思うのは、「挨拶」はいい写真集だなということ。
あんな数枚の写真をめぐって、入れるの入れないの、3年ほどやりあうなんてどっちも気の長い話であるが、いまだにやっぱりどうのこうの言いたくなるのであり、わからなさが続いている。

まっさらな新作だってある。それを初めてみる人が私だけでなく、この学生たちでもあるということがとても嬉しい気がする。

くどいようだけれど、「わたしは、、、」で語り出される言葉が私は好きなのだ。この一枚が好きだ、ということにも、そのひとの全体重はかけられていて、それはつくったひとにも、まだ見ぬひとにも必ず届けられる。