澁谷征司「DANCE」書評

象のダンス あるいは即興と構築

 

文=畑中章宏

 

 澁谷征司の『DANCE』は彼にとって2冊目の写真集になる。

 1冊目の『BIRTH』はさまざまな仕事の機会に撮影された写真を、チャプターごとに再編集したものであったが、あたかも古典時代のピアノ組曲を思わせるような緊密で隙のない構成であった。柔らかな光と空気の揺らめきをつなぎとめた澁谷の写真群を、より構築的に印象づけたのは、アートディレクションを務めた近藤一弥の手腕によるところも大きかったかもしれない。

そして『DANCE』のほうはと言うと、構築性という点では共通しているものの、見る人の感情をざわめかせるような流動性に満ち溢れている、と私は思う。

『DANCE』というタイトルからの連想で言えば、流動性は舞踏性と言い換えることができるだろう。澁谷本人によると、マティスの「ダンス」のイメージがどこかで谺しているようだが、私の脳裏に最初に浮かんだのは、松浦寿輝の「ウサギのダンス」だった。

「にんげんとりわけ女と禿頭の男を避ける季節がつづいた 悪が輝く冬の内部を歩いては 乾いたちいさなものやむごたらしいものに目をとめ 枯れた水の過去や骨だらけのしかばねについて瞑想する日々がつづいた......」

ただし澁谷の『DANCE』の巻頭で踊るのは、「ウサギ」の何十倍もの重さを誇る「象」のダンスなのである。「タラッタラッタラッタ」と軽快なダンスではなく、「ドシンドシン」という音が聴こえるような、象の舞踏。しかしそのステップは意外とリズミカルな愉悦感にも満ちている。だが、滑らかに踊り始めたはずの写真集は、不意打ちのようなイメージで見るものを戸惑わせ、躓かせるのだ。

リアルな生や死、あるいは写真家にとってプライヴェートな出来事と推測されるイメージが挟み込まれことで、『BIRTH』とは異なる、不穏な世界に私たちは連れていかれる。澁谷ならではの「柔らかな光と空気の揺らめき」を感じさせる写真を基調とした構築性が、溢れ出す感情を表出する、無意識の即興によってさえぎられると言ってもいいかもしれない。

古典主義時代の組曲やソナタに対して、バロック時代の組曲やソナタやパルティータは、楽譜にはない即興によってはじめて演奏が成立するものだった。また組曲を構成するのは、舞曲であることが決まりなのである。「アルマンド」「サラバンド」「ガヴォット」「サラバンド」「メヌエット」「ブーレ」といった、ヨーロッパから中東におよぶ地域に源をもつ舞曲が、演奏家の魂の発露である即興で彩られていく。

老人のデスマスク、禿げた中年の男、海辺の絞首台のようなもの、砂にまみれた人形、女性の下腹部といった表象。そして繰り返し現れる、燃え盛る火とフェンス越しの葡萄棚。澁谷のダンスは決して華麗なものでなく、さまざまなものがぶつかりながら美の際でかろうじて踏みとどまる、恐るべきダンスなのだ。

葡萄棚の写真の一枚を全面にデザインした表紙は、見た目の美しさとは裏腹に、ざらざらとした手触りを感じさせる。表層的な美を超えて、澁谷征司はある覚悟と核心をもって、新たな世界に踏み出そうとしているのだろう。

 

(はたなか・あきひろ 多摩美術大学芸術人類学研究所特別研究員)