『いのちの乳房』に寄せて

小社が流通をお願いしている地方小出版流通センターの情報誌「アクセス」に、『いのちの乳房』刊行のいきさつを寄稿しました。

書いてみてよかったです。「見るたびに見返され、力をもらう」という思いに尽きるのかもしれません。







『いのちの乳房ー乳がんによる「乳房再建手術」にのぞんだ19人』に寄せて


                                   株式会社赤々舎 代表取締役  姫野希美

 


  「私の胸を見てください」


 「乳房再建」、この硬く聞き慣れない言葉とともに、写真集を出したいという電話があったのは、2010年2月のことと記憶している。たぶん声の静かな響きに導かれて、それから間もなくSTPプロジェクトの3人の女性と会った。そのうちの一人、真水美佳さん自身が乳がんを患い乳房再建手術を経験したことが、出版を企画したきっかけであるという。なんだか途方もないような気もちで聞いていた。写真集のモデルとなるのは手術経験者で、執刀医やHPを通して募集する予定であること。撮影はアラーキーこと、荒木経惟にお願いするつもりであること、寄付金を募り全国の医療機関に写真集を贈りたいこと。つまり、目の前にはまだ一枚の写真もなく、しかし、彼女たちのなかで写真集の姿と行方は鮮明だった。

 同じ女性であっても「乳がん」という言葉は近くはなかった。社会的な意義というようなこともピンとこない。どうして書籍の形にする必要があるのだろうと首を傾げた。インターネットで検索すれば、「乳房再建」にいくらでも行き着くのではないだろうか。そんな私の問いかけに真水さんは、「ウェブ上で記事を読めば読むほど混乱して、不安になったんです。写真という目に見える形が大事。写真集という手にとれる存在が大事。伝えたいのは単に手術の情報ではなく、経験した女性がどんなふうに生きているかという姿なんです」と語った。この企画が写真集であることの必然、荒木さんが撮り下ろすことの必然がぼんやりと感じられて、先行きの見えない企画に立ち会うことに決めた。帰り際、真水さんは、「私の胸を見てもらえますか」と言って服を脱いだ。美しい丸みが目の前にあった。経験を共有することはできないが、体温をやりとりすることはできるのかもしれない。



  ●「19人の女神を撮った!」荒木経惟


 とはいえ、まずモデルとなってくれる女性が集まるのかどうか、懸念した。フルヌード、そして顔も写ることが撮影の条件。家族や周囲の理解も必要となる。ところが、真水さんが報告してくれる度に応募者の数は順調に増えていく。そこにはこんな声があった。

 「乳がんになったことで、驚くほどたくさんの素晴らしい人々や出来事との出会いがありました。それが"キャンサーギフト"。今度は私から、まだ見ぬ患者さんたちにギフトを贈る番です」

 「いま、"女性としてもっと綺麗に輝いていたい"と心から思うようになりました。モデルになると決意したのも、内面からすっかり変わることのできた自分を撮ってほしかったからです」

 19人がそれぞれの思いと勇気を抱いて、荒木さんのカメラの前に立つことになった。7月の六本木スタジオ。私も撮影に立ち会うことにしたものの、緊張で気が重かった。現場はどんな空気になるのだろう。女性たちは一世一代の気もちで臨むのかもしれないーー。そんないささかの躊躇いは、スタジオのドアを開けたとたんに弾き飛ばされることになる。荒木さんがあの少し高めの声で話しかける度、シャッターが切られる度、たったひとりでライトのなかに立つ女性の顔が生き生きと輝いていく。一番圧倒されたのは、九州から参加した方だった。この撮影のために生まれて初めて上京した彼女は、普段かけている眼鏡をはずし短いウィッグを付けていた。そしてカメラに向き合うと、光を受けて上体をゆるやかに揺らした。差し上げた腕を美しく交差し、自分の内側へ深く潜りながら、すべてを宥すように揺れていた。10分余りの時間、それぞれの女性のエネルギーと荒木さんの眼差しが交わり、二つとないポートレートが生まれていった。

 娘さんと一緒に撮影した方も3人いた。母の胸元に手を当てる娘。手をつなぐ娘。どの顔も誇らしそうに笑っていて、家族に流れた時間がそこにあった。



  ●全国の医療従事者へ、寄贈すでに408冊


 発売から半年。ご紹介いただく機会も多く、写真集は旅をしている。巻末に「モデルさんたちの声」「乳房再建手術を行っている医療機関と担当医」「乳房再建手術とは」のような資料を掲載していることも、この本を切実に必要としている方にとって役立つらしい。乳がんを患った方、いま問題を抱えている方から直接お問い合わせや感想のお電話をいただいたことも一度や二度ではない。そして、STPプロジェクトは当初の志のとおり、全国の医療機関へ写真集の寄贈献本を続けている。趣旨に賛同して寄せられた寄付金から、乳腺外科医246名と乳がん看護の認定看護士162名にすでに送付を終えた。不安と孤独に苛まれるかもしれない病院の待合室にこの本が置かれていたら、あるいは選択肢の一つとして担当医が見せることができたら......微力かもしれないがそうして存在することを願っている。今後もさらに献本を続け、展覧会を開催するという新たな目標に向かってひたむきに進むSTPの活動に、私たちも協力していきたい。

 この写真集は、書店で実用書の棚に置かれることもあれば、芸術のコーナーに置かれることもある。どちらでも、できれば両方ともにあることが、求めてくださる方にとって望ましいのかもしれない。情報を超えて、人の生々しいまでの美しさと生命力に迫るこれらの写真から、私は見る度に見返され、力をもらう。写真集が見る人とつながることの可能性を、『いのちの乳房』は様々に拓いてくれた。

 左手薬指にはめた指輪をかざして微笑む女性の写真には、こんな声が添えられている。

 「手術後に運命の人と出会い、手術の日からちょうど2年目に結婚しました。命のある喜びを、結婚記念日とともに思い起こすことができるようにーー」

一冊のなかに息づいている日々と思い。そしてそれを伝えてくださった皆さんに心から感謝したい。