【After 3・11】産經新聞に鷲尾和彦が寄稿。

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学び直そうとする潮目

海の日に、金華山へ向かった。牡鹿半島最南端沖に浮かぶ周囲26キロメートルの島である金華山は、島全体が黄金山神社の御神域であり、三陸の漁師にとって海上での安全と大漁をもたらしてくれる「ヤマ」として長く崇(あが)められてきた。 


鮎川港からモーターボートで渡ることができたものの、事前に「上陸は2時間以内、朝9時から11時の間」と指定された。桟橋が震災の影響で地盤沈下していて、干潮時のわずかな時間にしか船を着けることができないためだ。


海鳥たちの群れに埋め尽くされた船着き場。黄金山神社の境内では、崩れ落ちた常夜燈の脇を親子の鹿がゆっくりと歩いていく。夏の眩(まぶ)しい陽の下、人の営みと自然との境界線が曖昧のままさらしだされていた。


 「ヤマをたてる(あてる)」という言葉がある。それは沖に出た漁師が目印となるヤマを見ることで、海上の船の位置を知り、航路を見定め、漁場を探し当てることを指す。


大海原で小さな船や人はたえず波に揺さぶられ続ける。揺られながらも視界の中に不動の一点としてのヤマを見続けることで、いのちを守り、糧を得、故郷にた どり着くことができた。見つめ続けると、ヤマも見返した。それはヤマの向こうに暮らす幼子や嫁が海のかなたを見守るまなざしでもあった。見ること、見返さ れること。そのつながりが繰り返されることで、ヤマは「聖地」になった。


漁師たちはヤマの頂が見える領域を出て漁をすることはなかったという。見る=見返される関係が維持される領域だけが、ヤマの御加護が及ぶ範囲なのだ。


それが知恵であり、技術であり、生き方だった。今、僕たちは技術や知恵を学び直そうとする潮目にいる。揺さぶられながら、それでも故郷へとたどり着くために。


鷲尾和彦