『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』のトークイベントを紹介していただきました。

5月27日に開催された『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』を巡るトークイベントを
毎日新聞が主催するウェブサイト「まいまいクラブ」に紹介していただきました。
紹介して頂いた記事を掲載させていただきます。

(以下転載)

 ルワンダの虐殺、そして福島原発事故に遭遇されたカンベンガ・マリールイズさんのトークショー「ルワンダと福島を生きる」におじゃましてきました。
 カンベンガさんにとっての共通点は「帰るべき家があるのに、そこに帰ることができない」ということ。

   カンベンガさんは幼い3人の子供を抱え、命からがら難民キャンプにたどり着きます。JICAの青年海外協力隊に関わったことがある縁で、大虐殺があった94年の年末に、留学生として3人の子供たちと一緒に福島に迎え入れられます。
 そして昨年の東日本大震災による原発事故。いずれも自宅に戻るということは死の恐怖と闘うことになります。

   94年、ザイール(現コンゴ民主共和国)のゴマ・キャンプでルワンダ難民を取材中、通訳兼ドライバーのポール君が一人の男と握手しているのを見かけまし た。帰ってきたポール君の顔色がさえません。どうしたのかと聞いてみると、ポール君の奥さんを殺した隣人だといいます。「どうして握手なんかするんだ!  許せるのか?」と問い詰めました。「僕はクリスチャンだから......」と言葉少ない彼の憂いの表情が忘れられません。
 それから20年近くが経過しましたが、あの時のもやもやが消えることはありません。
   きのうカンベンガさんのお話を聞いて、少しだけ、ほんの少しだけですが理解できたような気がします。「憎んでは何も生まれない」「許すことで一歩踏み出すことができる」......
 殺された側、虐殺に加担した側、いずれも家には男はいません。一方は土の中に眠り、一方は刑務所に入っています。最初は女同士でいさかいもあったようです。しかしお互いの子どもを助け合い、話し合うことから溝は埋まっていったようです。

   驚くことに、ルワンダでは死刑を廃止したそうです。悔い改めた男は釈放され、自分たちが破壊した被害者の家族の家を修復することから始まったようです。
 最初は釈放された加害者たちを見て逃げていた被害者側の女性たちも、こつこつと家を建ててくれる男たちに休憩時間にお茶を出すようになり、昼食を出すようになり、一緒に国を再建していこうという気構えが芽生えたのだそうです。

   カンベンガさんは教育の大切さを訴えておられます。二度とこのような蛮行を起こさないために、みんなが教育を受けられるように。そして誰もが飢えずに、その日の糧が得られる社会を作り上げるために。

   きのうのトークショー参加費や、会場で売られたルワンダコーヒーの収益はNPO「ルワンダの教育を考える会」を通じて、ルワンダに小学校を作り、運営する費用に充てられます。また、カンベンガさんは自ら避難生活をしながら、温かいルワンダコーヒーや紅茶で避難所生活をする人たちを力づけられました。
 トーゴブニクさん写真集「ジェノサイドから生まれて」(赤々舎)の収益は、武器としての性的暴行で産まれた2万5000人ともいわれる子どもたちの育英基金として使われます。

【掲載された記事のリンク先】
https://my-mai.mainichi.co.jp/mymai/modules/shashinbu59/details.php?blog_id=233

写真集『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』 
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