SEX
徐美姫 写真集
4,000円+税 | 303 × 402 mm | 48頁 | 上製本
アートディレクション : 中島英樹
SEX
Photographs by Miki Jo
4,000JPY | 303 × 402 mm | 48 page | hardcover
Art Director : Hideki Nakajima
ISBN : 978-4-903545-01-1
Published in June 2006
About Book
『SEX』は徐美姫(じょう・みき)の第一作目の写真集です。ロバート・フランクをして「wonderful」と感嘆させたこのシリーズは、波や水の動きを見つめたモノクロの作品21点から構成されています。それは徐の30年の生の流れそのものであり、セルフヌードともいえる生身の強さに満ちています。かつ、強大で変転しつづける対象を見つめ体感することで、自分でありながら自分を解き、波の向こう側の大きなものと向かい合う、深い抽象性をも獲得しています。
「SEX」、性、性交、生まれつき、さが、男女の別、物の性質。
それらすべての凶暴で繊細な響きを込めて、『SEX』は生まれました。男が男であること、女が女であること、人が人であること。そこに生じる否応のない距離とエロス、共に生きようという関係性こそが、徐が写真に見つけたものなのかもしれません。
『SEX』について 徐美姫
この写真集はモノクロームで波や水の軌跡を追いかけた写真、計21点により形成されています。撮影場所は私が育った北陸日本海沿岸です。
私は写真を知り、まだ4年にもなりません。この写真が展覧会とともに私個人の言葉となり世に出るのはこの機会が初めてです。
写真を撮りはじめて、2年が過ぎようとしていたとき、写真を通して見つめることがどういうことなのか、写真って一体何かなという素朴で大きな疑問にぶつかりました。
それまではただ写真と仲良くなるのに夢中で、写真を撮る行為について考える時間も頭もなかった。
この素朴な疑問に対して立ち向かった、今現在の結論がこの写真です。
この写真は私のセルフヌードに匹敵すると私は考えています。
しかし、何故私はセルフヌードという形式をとらなかったのか、何故、祖国韓国や家族、身の周りの出来事に眼を向けることがなかったか、何故。それは私の生い立ちなどにも附随しています。
私は在日韓国人です。しかし自身の存在は韓国人でありながら、韓国人ではないという曖昧な疑問。そして家族。私は15才から家族と離れたので、家族という存在や響きにはとても馴染めず、家族を撮る行為は私にとって日常からさらに遠のく行為でした。
私の周りには確固たるアイデンティティが存在していないと感じたとき、何よりも強大で大きなものに自然と足が向いたのです。
とても大きいことが私にはっきりと「そうだ、何てことはない」と教えてくれました。自分自身が粒子になるような感覚でした。そして、写真を撮る行為とは共生することなのかもしれないとふと感じた。不思議なもので、日本海は私の生まれた場所に面していると同時にまだ見ぬ韓国の地にも面しているのですね。後から気がつきました。
"sex"というのは、物の性質という意味合いもあります。
私は自身の性、男が男であるということ、女が女であること、人は人なんだということを想い、この作品を世に出します。
『SEX』に寄せられた言葉たち
堕ちていく――写真という絶対表面、その底なしの淵へ
竹内万里子(批評家)
徐美姫の撮ったモノクロの海は、わたしのなかにある海である。それは少しも穏やかなものでなく、暴力的で正視できない。それでも見ずにはいられなくて、見ているうちに泣いてしまった。生きる者ならきっと知っている。どうしたって手懐けられない、貪欲に沸き続ける泡のような哀しみ。
小池昌代(詩人)
写真の向こうから、音が聞こえてくる。ときに激しく、ときにせつなく、ときにひそやかに、生命力をみなぎらせて。それはまるで私たちの息づかいのようだ。
これらの写真はどうしようもなく私を不安にし、
同時に安堵させもする。きっと、ひとりであることを思い出させ、だからこそだれかを求める気持ちを思い出させるからだろう。
角田光代(小説家)
この写真集を見て、感じて想う何かが、ひとを少女にさせる。
本を閉じ灯りを消して、布団の中で夢想するのは、
切なかったり悲しかったりしない、あたたかなセックスだ。
そんな美しいことが起こるかもしれない写真集だと、ぼくは思った。
豊田道倫(音楽家)
深閑とした中に、音の気配がある。寄せる波ではなく、引く波の音だ。砂粒が、小石が、水泡に揉まれ、声をあげて引きずられていく。
私は波の行方に目を凝らす。その遥か先にある多くの生命を意識する。彼らの歩んだ長大な道程に打ちのめされる。わかっていることなんかごくわずかだ、と口中で呟く。
spotting/木内昇
Readers expecting something literal from Miki Jo's "SEX" will be disappointed: the book is a study of the movement of water. "SEX" is an extremely large book, which highlights the power of the waves that Jo photographs. Perhaps in showing the rushing of an ocean wave, or in plunging beneath the surface of the water to capture a turbulent image, we can find some relation between the book's title and its content. It seems possible that the photographs in this series represent Jo's idealized vision of sex. In this way, the different states of water--sometimes powerful, sometimes at rest--represent a highly poetic vision.
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Artist Information
徐美姫 | Miki Jou
1974年 福井県生まれ。国籍 韓国。
2002年 写真を始める。
2006年 写真集『SEX』(赤々舎)発売 (6月3日)、「4人展」(SHUGOARTS)同作品出展。
書籍、雑誌などの媒体でも活動する。
現在、東京在住。
Born in Fukui, 1974. Lives in Tokyo. Jou's nationality is Korea.
Jou started photography in 2002. Published 'SEX' in 2006.
Posted at : 2010.04.25 18:40

書の棲処
華雪 作品集
2,300円+税 | 137 × 221 mm | 120頁 | 上製本
アートディレクション : 中島佳秀
A Dwelling for Writing Characters
Calligraphies by Kasetsu
2,300JPY | 137 × 221 mm | 120 page | hardcover | Texts are all written in English and Japanese
Art Director : Yoshihide Nakajima
ISBN : 978-4-903545-00-8
Published in June 2006
About Book
華雪(Kasetsu)はこれまで、作品としての字と普段書かれた字の境界はどこにあるのか、字が芸術、実用にかかわらず魅力を持ちうるのは何に拠るのかを探りながら、制作を続けてきました。
本書は、華雪にとって初めての書の作品集であると同時に、自分が書いている場所、そして書の棲処とは何処なのかを問い直した一冊と言えます。
日々の暮らしをいとなむ自分と、書く自分。その連環を通して深められる「生」そのものが、華雪の作品には刻まれています。身体を使って書く一回性の行為の中に、一つの字と、自分自身と、さらに自分を超え出たものとの対話が潜んでいます。
華雪の作品と文は、表現としての書の可能性を探る本質的なものと位置づけられます。
本書収載の写真は、写真家・志賀理江子による撮り下ろし。志賀は現在ベルリンを拠点に活動し、国際的に注目される新進作家です。書の棲処を、字そのもの、空間、そして人の中に捉えて、独自の奥行きを持ち得ています。
刊行にあたって 華雪
5才の時から子供のための書道教室で毎週、筆で字を書いていた。漢字を覚えながら、字を書いていた。字を書くために漢字を調べる。漢字を調べると象形文字が載っていた。絵文字を見ながら、そのなりたちを見ながら、漢字を覚えた。漢字を調べていた字典が白川静という一人の人の手によるものだと知ったのは字典を開くようになってから、随分時が経っていた。字典の中で、漢字は自分のなりたちを語り、自分達が組み合わさって表した言葉を熟語という形で話していた。ひらがなという音で話していた。白川静という人の手によって、ひとつひとつの漢字が抱えている意味、音、形がこちらに向かって伝わってくる。大昔の出来事がたった今の出来事のように伝わってきた。そんな目の前の字典の中の漢字と私も話してみたかったのだ。字を書くと対話できた。幾度も同じ字を書くと、その字と仲良くなれた。
ある日、教室で一枚の写真を見た。丸坊主の男の人が着流しで片脇に書き損じた紙の束を抱えた後ろ姿の写真だった。たくさん書いた字の中から残すものを選び出した後、残ったものを燃やしに行くのだ。静かに見えるその後ろ姿は怖かった。その写真を見たとき、私は字を書くことを子供ながらに初めて強く意識をしたのではなかっただろうか。その後ろ姿が強烈に目に焼き付いていた。字を書くことはこれほど怖く強いものを放つことなのだと、思った。その人は井上有一という人だった。彼はもうこの世にいなかった。
同じ字をたくさん書くと、字と仲良くなれる。そして時間が経つとこんな風にしか書けないのかと思う。自分の選んだ字に裏切られる。それでも信じて、まだ書き続ける。字を書く時間の中で、自分が剥き出しになっていく。白川静という人は漢字に息を吹き込んだのだ。字典のページを開くたびに今なお思う。そしてその息を吹き込まれた字を、字を書くことで動き出させてみたい。踊り出させてみたい。涙を流させてみたい。そこに自分も重なっていく。そしていつからか私も書き損じを片脇に抱えて立っていた。いつか見た写真のように私も立ってみたかったのだ。私はどんな背中をしているのだろう。
ひとつの字を書くことは、一人の人と向き合うことに似て、生きていることを強く実感できることだった。字を書くことには今がある。 この本を作ることは、私にとって、字を書く、その時間の中に浮かんでいること沈んでいること全て隅々まで光を当てることだった。
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Artist Information
華雪 | KasetsuHP
書家
1975年京都生まれ。1992年より個展を中心に活動を続ける。
刊行物に、『静物画-篆刻ノート-』(2001年、平凡社)、『石の遊び』(2003年、平凡社)、雑誌「アイデア」特別付録『枕と燈台』(2003年、誠文堂新光社)、『書の棲処』(2006年、赤々舎)がある。
近年の個展に、「0 zero」(2003年、graf media gm)、「雲と仮面と、雨粒の鳥」(2004年、絵屋)、「食事窓」(2005年、Sewing Table Coffee)、「手紙匣」(2005年、colon books)がある。
また2002年からはワークショップを京都精華大学公開講座などで続けており、2005年にはワークショップイベント「書と篆刻」を原美術館で行う。 現在東京在住。
Kasetsu is a calligrapher. She was born in Kyoto, 1975.
Publications
2006 A Dwelling for Writing Characters (AKAAKA ART PUBLISHING, Inc.)
2003 Playing on Stones (Heibon-sha)
2003 A Pillow and a Light Stand A separately bound magazine supplement in IDEA (Seibundo-shinkosha)
2001 A Still Life-Notes on Seal Engraving (Heibon-sha)
Recent Exhibitions
She is currently residing in Tokyo.
Posted at : 2010.04.25 18:40